CB125RACER
80年代終わりに、筑波で始まったDOBERに、家内のCB400Fで2回出場し、7位を得るが、サラリーマンの身で京都からの筑波行きは金銭的、時間的に無理があった。
そこで鈴鹿で始まったルーツザレースに照準を定め、車両の製作に掛かる。まだ英田サーキットは無かった頃の話である。
| 基本はCB125S。 このころはレギュレーションで125JXの出場は認められていなかった。 72年以前、つまり一体ヘッドのみが出場出来たのである。 |
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| 舞台は鈴鹿東コース。 年に春、夏の2戦が今でも開催されている。 最高位は予選4位 決勝6位入賞。 自己ベストラップ 1分15秒。 |
最盛期、チームは4台体制。CB125X2台 TX500 ブロス650 だった。
レギュレーションの改正やエンジンの仕様変更をしながら、約10年近く走っただろうか。
諸般の事情により自然とチームとしてのエントリーが減って行き、自分も40歳目前で、転職とタイムが元に戻らなくなったのを期に、レースから引退を決意した。
だが、走るのを止めたわけではない。パレード・ラン、模擬レースにはたまに顔を出している。